大人になったら色んな事ができるようになる。そのうちのイッコが、車の運転だ。クルマと共に暮らすようになり久しい今日この頃、ちとこれまでのカー・ライフを振り返ってみようかという気になった。なにぶん、暇人は色んな事に想いを馳せてみたくなるものなのである。それが「独りで勝手にやってモーターショー」(長い)である。
それまでじっくり考えてみる事をしていなかった事が、この先の導になったすることもあるぞ。という訳で、折角なので、じっくりと綴ってみようと思う。以下本文。
思えば自分は大してそれほどまでに車の運転がしたいとも考えていなかった。しかし、生きていたら早々と18歳となり運転免許証を取得できる年齢となったときに不図、思った。『車の免許、取ろうかね』未成年者だし、親父に声かけてみた。「とーちゃん、ワシ、18歳になったことだし車の免許取ろうかと思うとるんだが」18歳といえば、ちょっと大人になったぞと勘違いし始める年齢である。
親父はすかさずこう言った。「オマエ、怪我するから、やめておけ」
親父は我が子の運動神経のなさ、おっちょこちょいな性格諸々を当時から熟知していたため、こう言ったのだった。自分は自分でそう言われ「うむ、そうかも知れないな」と妙に素直に納得したため、この時はそれきりすっかり考えるのをやめた。
そこから暫く免許の事なんて考えることもなく何を考えて過ごしていたかも覚えていないくらいの青春の日々が続いたわけだが、そのうち言うてる間に20歳になった。成人したのだ。
「おぉ、ワシはついに名実ともに大人になった!」と本気でそう思っていた浅はかな時代。この歳になってまたもや思った。『20歳になったことだし、免許、そろそろエェかいな』
そしてまたもや親父に話をした。そしたら親父はこう言った。「世間一般の人様に迷惑がかかるから、やめておけ」
またこの言葉に納得してしまい、この時も、やめた。『大人になったぞ』と大胸張っていたのは口先だけで、本心はやはりどこか運転することへの恐怖心もあったのだろう。
それから2年後の22歳の時。大学校の卒業を控えたころになると、運転免許を取りたいぞ!と本気で思うようになっていた。別に親父の了承など要らんような年齢なくせに、過去2回にわたって「やめておけ」とアドバイスを呉れた親父にこの度、今一度、同じ事を物申したら、終にこう言われた。「全人類のために、やめておけ」
初回(18歳)「怪我をする(我が子の身を案じて言ったのだろう)」↓2回目(20歳)「世間一般の人様に迷惑がかかる(やや汎用性のあるアドバイスとなった)」↓3回目(22歳)「全人類のために(ここまできたか・・・)」
時を経るにつれ、スケールがどでかくなっていることに意味深な何かを感じた。しかしこの時ばかりはどこかやけくそ?になっており、親父の反対を押し切り(別に猛反対に猛反対されたわけでもないが)、自動車学校に通うことを決心した。
で、自動車学校へ赴いた。AT限定/MTとでコースを選ぶことができたらしい。AT限定の方がMTよりも些か安かったのだが、ここで少し考えた。自動車学校という所には、運転免許証を取得した後なかなか来ない場所となるだろう。今、ここでAT限定コースで運転免許を取得した後に、MT車に乗りたくなったときに再び来なくてはならないのなら、面倒くさい。MTで免許を取っていれば、AT車にも乗れる。なら、MTの方が言うなれば「お得」ではなかろうか。という訳で、MTコースを選択し、申込手続きを完了した(なんちゅー意思決定のあり方じゃ)。
これから教習所通いが始まるぞ。とりあえず手続きが完了した旨を親父に報告しておいたら、やや呆れた口調でこう言われた。「・・・オマエのような奴にはAT限定でじゅうぶんではないかと思うがね・・・」なにかと心配をしてのことだろう、とさらりと受け流しておいた。
この先待ち受けるであろう華々しきカー・ライフを夢見て、教習所通いを始めたのであった。
続く。