思いもよらぬ交通事故で親子(ワシとクルマ)共々怪我をして不条理な想いを味わったというのが先回までのお話。最後は愛しの我が子帰還のお話。
と、その前に、代車の話をしておくか。要しない筈の加害者との対面や警察の心無い言葉に心底疲れ果て、何とも表しがたい気分で居たのだが、友人のアドバイスを思い出して、折角だから代車も大事に乗ろう、ということで、代車に名前をつけてみた。名前を付ければ少しは愛着も沸くかと思ったのだった(因みに我が子にも勿論名前はついている)。ネーミングセンスがないので、何の捻りもない名前だったけどな。
そんな代車と用事で出かける道すがら、なんと同じ車種のレンタカーとすれ違ったのだった。代車のナンバーが「わ・803」であり、すれ違った車のナンバーが「わ・804」となっていたので瞬時に判別できた。車の色も全く同じだったし。言わば‘きょうだい車’というところか。はてまぁ、こんな偶然もあるものかとたまげたものだった。
そこで都合の良いワシは、自信喪失しているワシへの何かのエールかもしれないなと解釈した。そう解釈してみたら、気楽になれたのだ。たったの10日間ほどしか一緒に過ごさなかった車だが、今でも感謝している。
さてこら、我が子帰還の話。
事故から数日後に車屋へ預けに行った時のこと。営業担当と一緒に負傷した箇所をちらりとみていたのだが、営業の見立てはリアバンパーとトランクが取り替えになるだろう、ということだった。ワシはこの時、マフラーも歪んでるように見える・・・と思っていたが、素人なのであまり口出ししないようにしていた。
だが修理が完了したと連絡を受けたときに聞かされた報告によると、営業の見立てに加えてマフラー(ああやはりそうか・・・)とナンバープレート(そこまでもか!)も取替となったそうだ。預けた時点では悪天候ドライブの後でかなり汚れており、水洗いしてよくよく見てみたら、あちこち負傷していたとの事だった。
・・・痛かっただろうな、可哀想に。キュンと胸が締め付けられた。
ようやく怪我の治療も完了した我が子を迎えにいった。どれほど待ちわびたことだろうか。確か10日間くらい離れて過ごしていたのだが、とても長く感じた。代車との別れにも思いを馳せつつも、やはり我が子の戻りが何より一番である。気分はまるで、主人の帰りを待つ召使いのようだった。
車屋へ行くと駐車場に既に我が子が待っているのが見えた。すぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑えて、これまでお世話になった代車の返却やら、我が子の治療の報告を改めて受けたり、保険の話をしてみたりした。
会話の中で、加害者のとっていた不審な携帯電話の一件の流れとなったのだが・・・。
ワシ:「いや、あの人何故か事故が起きたのに安否確認を怠っていたんですよね。車の中で携帯持っててさ。
それが未だに謎であるのだが、真実はほぼ闇の中って感じだよ。今思うと、あれ、【車、追突しちゃったナウ】なんてネットで呟いていたんじゃないかね、アハハ~」冗談交じりで話せるようにまでなっていた。営業:「いや~、事故が起きた時って結構パニックになったりするので、すべき行動ってすぐに取れなかったりするんですよ、人って。お客様、さすがです。そんな時にも冷静に動けたのですから」
こんな事を言われたのだが、実は何を隠そうこれはワシの心構えだけでは為しえなかった事である。遥か昔に運転免許を取得した際に、親父に渡されたものがあった。それが、これだ↓
親父:「お前、これ。持っておけ(と、例のブツを差し出した)」ワシ:「なんだ、これは(まじまじと見る)。あはは、とーちゃん、こんなの、わざわざラミネートしてまで作ったの~。けーさつ、ひゃくとうばんって~。ゲラゲラ」大笑いしたのだった。だが親父はこう言った。親父:「いやな、今は何事もなくそうやって笑っているけどもな、これ、結構大事なんだぞ。いざって時には人は頭が真っ白になるんだ。だから、持っておけ」
時空を超えて、あの時のワシをハリセンで叩いてやりたい。
親父からの贈り物がなければ、事故や異変が起きた時の事など想像もせずに呑気なカー・ライフを送っていたことだろう。そのカードは、常に免許証と一緒に持っていた。時折そのカードの存在を思い出しながら運転もしていた。
要は、親父のお陰で冷静に対応できたのだった。そこには安否確認の事項の記載はなかったが、自動車学校で事故が起きた時は人命第一、まずは安否確認と教わっていたのをよく記憶していたので、すんなり動けただけの事だ。
なので、「さすがだね」と言われることにどこか抵抗があったので、正直に親父からの贈り物の話もしておいた。
そんな会話も終えて、ようやくご対面じゃ。営業が見送りに一緒に外に出てきていたので、さすがに走って駆け寄りもしないし、あくまで車屋では淡々と治した箇所をチェックして終わったが、気分はこんな感じだった↓
不運に見舞われたこの度の【やられてモーターショー】だったが、自覚している以上にワシはこのクルマを大切な存在だと位置づけていることを認識した。また、それゆえにクルマにハプニングが起きると自分も弱る、ということも自覚したのだった。このワシの妙な特性は今後のカー・ライフに吉と出たり凶と出たりするのであるが、一つでも吉が多くなる事を願って、愛しの我が子と共に帰宅した。
ところで親父がくれた例のブツ。帰宅してからラミネートフィルムの上から油性マジックで、コレを付け加えておいた↓
事故に遭ったら・見かけたら、人命第一、安否確認。書き加えたことにより、より一層深く心したのであった。
おまけ。この時は両親にも心配をかけてしまった。親のキモチというのを、子ども目線で想像してみた。
ほんとにそんな風に思ったかどうかはしらんけどな。
続く。