前置き②自動車学校に通おう。

ガッコウにいこう。

 18歳になった頃からあれこれあって、22歳の時に自動車学校に通い始めた。
こんな自称天真爛漫な若き日々の事は遥か昔の話であることに違いないため、憶えている限りの事を綴るだけである。

で、自動車学校に通おうなんてタイトルをドドンとつけておいて言うのもナンだが、はっきり言って大して憶えていない。
初回から暫くは実車教習はなく、教室で講義を受けていた気がする。
それを経て初めて実車教習となった時に、ミニクイズのような質問を受けた。

運転席に座ってみて、そこから車のボンネットの先を超えて目に見える路面までどのくらいの距離があると思うか、というようなことを教官に尋ねられた。
この時確か自分の他にも数名教習生がいて、皆めいめいに思いつくまま答えていた。
『どうしよう、そんなのわかりっこないぜよ・・・(´・□・`)。ええい、ここは当てずっぽうじゃ!』
ということで「4、5メーターくらいですかねぇ」と答えたと思う。
教官にこう言われた。「お!君、なかなかイイ勘してるねぇ!大体、○○メーターくらいだよ
肝心の後半の○○メーターの部分は既に記憶にない。褒められたことしか憶えていないなんて、自分とはなんと調子のよい人間なのだろうか。

都合の良い記憶の絵
都合の良い記憶力。

で、実際に動かしてみた。
車を動かし始めるには、ギアは1速からスタートする。重たいものを動かすには大きな力が必要で、1速からのスタート。
速度を上げるに従い2速→3速・・・と力を弱めていってあげるのだと教わった。
こういうのって、動体力学?だとか、なんだとかのセンスが必要なんだろうか、知らんけど。とにかくまるで説明内容が珍紛漢紛だった。
頭の中に「?」マークを付ける間もなくタッタカタッタカと続けられる説明についに置いてけぼりになってしまったりした。
基礎学力以前の想像力が欠如していると気が付いたわけだ。

そしてなんだかよくわからん「半クラッチ」という動作に苦労する。何度エンストしたことか。公道なら追突されまくりなんだろうな、トホホ。
運動神経のなさが露呈する場面であった。

しかし何はともあれあの時自分は若かった。そのうちコツをつかむことができ、知らぬうちに出来るようになっていた。
おぉ、やればできる!と自己満足。

仮免許の試験は結構すんなり行けたと記憶している。
仮免許を取ると、『仮免許練習中』だかいうお知らせを周りにしたうえで同乗者がいたら教習所の車でなくても公道を運転できると聞いたので、冗談交じりに親父に言ってみた。
とーちゃん、ワシ、仮免許取得したのでウチのクルマで練習させてもらおうかいな。横で見ててくれるかね
いつになく強い口調でこう言われた。「御免蒙る!

そんな具合だったので、専ら教習車で教官と共に練習に励む日々が続いた。
教習所の教官も様々で、今後のカーライフに活かされる話を織り込んでくれる方もあれば、淡々と教科書通りの説明をされる方もあった。
どちらも嫌いではなかった。
良い人間観察の場でもあったので、毎回どの教官と教習するかが楽しみでもあった。

意外と順調にカリキュラムを終えていった。
親父筆頭に周りの人間の心配の声などどこ吹く風だったのが自分でも意外だった。

しかし、あれは多分、卒業検定かの折だったと思う。とんでもない失敗をしたことがあった。
前述の通り、というか言うまでもなく車を発進させる時には、ギアは1速。
2速発進についても出来るようになっていたが、こういう試験の時は1速から。
どこぞの交差点で信号待ちし、青信号になった折にギアをニュートラルから1速に入れた。

・・・。おろ?う、動かんぞ。なーぜーじゃああぁー∑(`・□・´;)。
こんなにも動かないなんて、車が壊れてしまったのではなかろうか。
と思っていたら、教官にごくごく小さな声で、こう言われた。

「((((サードだろ))))」
検定の場なので、大大大ヒントをくれたわけだった。それなのにこの言葉、頭の中で、こう変換されてしまった。『さぁ、どうだろう

折角のヒントの絵
折角ヒントを呉れたのに・・・

→で、思った。『どう、って、何が(`・ω・´;)=3

いつになくKYの絵
いつになくKYなワシだった。

もう少しハッキリとした口調で、同じことを言われて漸く気が付き、ギアに目をやった。
3速に入っていた・・・あぁ~れえ~(°▽ 。)
車には何ら問題はなく、運転者に大いに問題があっただけだった。

気を取り直してその後は何とかこなした結果、一応合格と判定してくれた。
かくたる状況の中で空気を読まず「サードだろ」の言葉が頭の中でこんな頓珍漢にトランズレートされようとは、世のダジャレ王も呆れるだろう。
そんなのが世の中にいるかどうかは知らんけど。自分は別の意味では想像力が豊かだったのかもしれないな。

その後無事教習所卒業&運転免許試験に合格し、お国に「車を運転しても良いよ」と言ってもらえるようになった。

免許皆伝の絵
免許皆伝。

かと言ってすぐに車が手に入ることもなかった。時折運転してみたいなぁ、という想いに駆られてはあきらめる、の繰り返し。
仕方がないから持っていたラジコンカーを操作しながら実際に自分が運転する時のことを妄想する日々がしばらく続くわけである。

その時の現状を親父に報告したら、親父はこう言った。
ふん。一生それ(ラジコン)で遊んどけ

親父の名誉のため、この言葉は敢えて思い切り意訳をしておくとするか。
免許が取れたとはいえ、とーちゃんはオマエが心配だから車の運転はやめておきなさいよ
当人の本心だったかどうかは知らんがね。

・・・この頃の車欲しさバロメーター、10段階中の4くらいかね。

車欲しさバロメーターの絵
車欲しさバロメーター4。

続く。