タコヤキ De テツガク

数年前のある日、某家電量販店へ、Wi-Fi機器の契約に出掛けた。
季節が春だった事もあり、新規契約キャンペーンなんかが企画されていたらしく、契約したらその家電量販店のお買物券が贈呈された。

10,000円分も。

折角のチャンスなのだが、これといって必要な家電がなく、かえって困った(´・□・`)。
暇を持て余していたので、店内を見てみることにした。
商品引き換えには担当者の手続き?が必要だったからか、接客してくれたアンチャンと一緒に、あてどもなく店内を散歩していた。

はじめに、CDを2枚、引き換えた。

それでも、約4,000円ほど余らせてしまう。
くどいようだが、欲しい家電は、なかった(´・□・`)。
とは言え、引換額を余らせたまま帰るのも、シャクだった。
こうなれば、自分では買ってまでは使わない、何かオモシロそうな物品を探してみることにした。

そこで見つけたのが、タコヤキ器だった。

「お。タコヤキか、良いな。」
直感的に?否、本能的にタコヤキ器を貰うことにした。
ついでに、タコヤキを作るうえで必要なピックや、その他調理器具を揃えた。
結果、引換額ギリギリの良いトコロで物品を入手し、なんだかホクホクした気分で、帰宅した。

それから数日後、早速タコヤキを作ってみることにした。
タコヤキ器の箱を開けたら、ご丁寧にレシピが入れられて居った。

必要な食材を仕入れ、いざ開始。

自分はとてもいい加減な人間なので、レシピがあるのに、分量をろくすっぽ確認せず、大まかな作り方の流れだけをみて、野生のカンを頼りに作ることとした。

所詮自分が食べるのだから、うまくできなければ次回への教訓とすればよし。
ということで初回に拵えたタコヤキは、妙にモサっとしたものになっていた。

屋台で食べるタコヤキの味の記憶を辿ること数十回。
1~2年掛かりで試行錯誤を繰り返し、ようやく作り方を習得。
そもそも、その時は頻繁にタコヤキ器を棚から引っ張り出すこともなく、結果的にそのくらいの時間がかかった、と、言い訳がましく言っておこう。

「これなら、よかろう。」という程度に調理することができるようになった。

それから数年後のとある日、友人と会って世間話をしていた際に、タコヤキの話題をしてみたら、
友人はこう言った。

友人:「タコヤキか、えぇな、食べに行ってやるよ。」

それならばと早速自宅に招き、所謂「タコパ」とやらを開催してみた。

友人の呉れた感想は、こうだった。

友人:「ウマイじゃないか。実は、自分も最近知人にタコヤキ器を貰ったんだ。レシピを教えてくれよ。」

素直に光栄だった。そして、生地の作り方を伝授。
友人はメモを執り始めた。

  1. 薄力粉と中力粉を1:1の割合でデカイ容器に入れる。
  2. 水を入れ、程よいところでタマゴを加え、何となく混ぜる。
  3. 出汁のモトをちょろりとふりかけ、酒・ミリン・醤油を程よく入れる。
  4. 混ざったすべてのものの匂いをかぐ。
  5. 粉のとろみがこんな感じ(目の前にある容器を差し、とろみ具合をパフォーマンス)になったら、出来上がりだ。」

(補足:中力粉を使うようになったのは、薄力粉の価格高騰対策として、薄力粉よりも少々安かった中力粉を買ってみたら、意外と美味しかったから、という偶然の結果である。)

友人は、唖然としていた。
メモを執ろうとしていた右手が硬直しており、こう言われた。

友人:「・・・なんて、アバウトなんじゃ。メモなんか、執ってられん。ワシ、書いたの、『薄力粉:中力粉=1:1』だけやぞ。」

そうは言われても、上記のようにしか、説明が出来なかった。
なにせ、毎回適当な塩梅で作るようになっていたモンから。

あきれ果てた友人は、帰り際、こう言い去り帰路を辿って行った。

友人:「ま、いいわ、タコヤキ食べたくなったら、ココ(ワシの家)に来ることにするわ。」

自分の周りには有言実行な人達が多く、その友人はそういった通りそれから半年後、我が家へやって来てたんまりタコヤキを頬張っていた。

タコヤキという食べ物は、誠に旨い、と、自分は思う。
ハマるとそれに没頭する性質なのか、最近は月に1度はタコヤキ器を出し、ひっそりタコパをしている。

タコヤキ器の丸い穴に生地を流し具材を投入し、焼きあがるまでの間に必死で丸い形になるように整え、成形する。

「果たしてうまい具合に出来上がるのだろうか」と一抹の不安を憶えつつも、今まさに出来上がろうとしているタコヤキ達と無心に向かい合う、そのヒトトキ。

それは、何事からも解放された時間であることに、ある日気が付いた。

そして、まぁるく仕上がったタコヤキをみて、こう思った。

「うまく出来るか不安だが、ちゃんとやっていればいつかは、まぁるくおさまる。
・・・おお、なんて、哲学的発想じゃ(・〇・)。」

阿呆な自分は、こんな考えに至ってしまい、『哲学』という崇高な言葉を、使いたくなってしまったのだった。

幾つも拵えていれば、タコヤキがへしゃげてしまうことも、ある。
それはそれで、
「こんなときも、あるさ。諦めずに、頑張ろう。」
と、前向きに捉えることとしてみたら、なんだか救われた気がした。

誰も人を救いはしないが、そんな気になれたなら、それでよし。
あの時オモシロさを求めて貰ったタコヤキ器だったが、それ自体の役割以上の事を自分にもたらしてくれている。
軽やかな心持ちで口にするタコヤキは、また旨し。

こうして夢中になり無心で作るタコヤキの数は、1度に約100個。
ちなみに所有しているタコヤキ器は、1度に19個作ることが、できる。
5回以上ものターンを、繰り返し繰り返し、ついつい、作ってしまうのだった。
当然大量に残るので、冷凍庫に入れて少しずつ食べていく。
保存食としても、役立ってくれている。

そんな訳で、プチ哲学までさせてくれている偶々のタコヤキ器との出逢いに、感謝。

タコヤキで・テツガクさながら・尊びの・わが人生に・報いあれ・・・。

何の捻りも感性の欠片もない阿呆な短歌まで拵えてしまう自分に、家族はこう言った。
「もう、好きにすれば。」

・・・タコヤキ器さんよ、これからも末永く宜しくお願いします。

完。

うちで使っているタコヤキ器はこれだよ。